24年前とあるご縁から始まった 大連との繋がりは、今も続く・・・
ろくに 言葉も分からず・・・
十余年間に渡り、現地生活・・・
現地法人作るも・・・
波瀾万丈想いでの数々・・・
SARSなる病原体が世界を心頭した2002年頃、晩飯する夜間営業の飲食店探し翻弄・・・
今朝、目覚めに開いたYoutubeサイトに、こんな動画が公開されてた。
現地、我が仕事も起動に乗り出した頃、 新年を祝う宴席場面に、 の仕事仲間が大勢参加、旗振り団長してる時、父の訃報を受け取る。
その前の年末、恒例年賀状仕事真っ最中、実兄から「そろそろ・・・」との連絡を受け、一泊二日で 帰国して、病院先を見舞うが、担当医曰く「こんな元気なお爺ちゃん・・・早く退院せにゃアカン❗ 」と・・・そのベッド脇で、父が発した「たつや、大連でガンバレヤ・・・」それが、最後の言葉だった。
その父、ほぼ老衰だったが、満州戦争に出陣している。終戦混乱時、ソ連軍に捕まり、遠くシベリア送りされる汽車から脱走、広い満州平野を命からがら逃げ回って、大連の地に戻れた。
こんな古き時代の大連動画を観ると・・・
思い出す・・・
我が父・・・
では・・・再見❗
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